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曲作りについて:福山雅治の名言、言葉

「(歌詞を書く際は)意図的に(オレではなく)僕にしてます。」(16年10月の言葉)

最初は「オレ」という言葉を歌詞の中で使っていたそうですが、そのうち、「自分っぽく感じなくなってきて、意図的に使わなくなっていった」そうで、今後、歌詞の中で「オレ」と出てきたら、それはあえて使った言葉になるだろうとのこと。

「出来上がった曲を聴いてもらう時が一番恥ずかしい。」(15年11月の言葉)

レコーディングの現場で出来上がった曲をスタッフの方々に聴いてもらうのが恥ずかしいそうです。

「(50代になったら歌いたいテーマは?と聞かれて)あります。楽しみにしててください」(15年9月の言葉)

50代になったら歌いたいテーマ、まだ歌っていないテーマについて聞かれての言葉。その内容については楽しみにしていて欲しいそうです。

「被害者目線、被害者意識のみで作品を作ってはいけないということ」(Switch vol.32)

作品(音楽)を作る時、自分の感情を歌にしてゆく上で被害者意識だけで作品を作ると、加害者がいて、そのために自分がこうなってしまったという一方的な見方を生んでしまう・・・そのため、被害者意識のみでは楽曲を作らないように意識しているのだとか。

自分は被害者でもあり、加害者でもある、または自分は当事者である・・・とも語っています。

「メロディに関しては僕はあまり時代性というものを重要視していないと思います。」(Switch vol.32)

メロディは長い年月経ってもその力はあまり変わらないと思う・・・とも。

「(デビューからの3枚目くらいまでのアルバムについて)やっぱりコンプレックスがあったんでしょう」(Rolling Stone vol.84)

デビューからの3枚目くらいまでのアルバムについて、全部自分で作詞作曲できなかったことにコンプレックスがあったと語った時の言葉。

「バックのサウンドを全部取り外した時に、弾き語りで演奏できるかどうか?が僕の中の曲作りのOKラインなんです」(Rolling Stone vol.84)

自分のことは「弾き語りの人」だと思っているそうです。

「(歌詞のフレーズが)言葉がおりてきたことなんて、一度もありませんよ。(笑)」(PERSON vol.19)

フレーズや言葉がおりてくるか?という質問に対して。

「(曲作りに関して)常に音先行、メロディ先行なんです」(PERSON vol.19)

曲作りについて、まずメロディを作り、その後に詞を書いてゆく・・・ということを常にしているそうです。まず、バックトラックをレコーディングし、その後に「ラララ~」と仮歌を歌って、最後に歌詞を書くのだそうです。

「歌詞を作る時に断片的なキーワードが浮かんでくるんです」(14年3月の言葉)

作詞をすることについて。

「福山雅治で検索すると「福山雅治 ゴーストライター」ってでてきますからね。」(14年4月 CUT)

勿論、ゴーストライターなどは存在しないのですが、本人は「でもそれって、あの福山にこんな楽曲かけるわけないよ」っていう見られ方かと。好意的に受け止めています(笑)」と雑誌のインタビューで答えています。

「はじめて作ったオリジナル曲は光化学スモッグの歌みたいなものを作ろうとしたけど挫折した(笑)」(13年8月の言葉)

最初に作ろうとした曲について。

「(歌詞を)悪く言われることなんていくらでもありますよ。」(13年6月の言葉)

ただ、それはどうでもいいことだと。落ち込むということについては、福山さん本人も落ち込むことはあるそうですが、批判されたことについて「ああ、そうかな」と思えば落ち込むし、自分でもそうかなと思えるような批評、批判は今までのキャリアや経験があって、受け止められるようになったそうです。

ただ、自身のラジオ番組のリスナーから歌詞についての質問をされて、歌詞は何が歌いたいか、何がいいたいかということが描けていれば、それでいいのではないかと答えています。

「子供にもわかるような歌詞が書けた方がいいです。」(13年6月の言葉)

難しい言葉や表現は深いことを言っているように感じるけども、実際は作者が自分の思いを本当に的確に言語化できていない場合も多いと感じているそうで、本当は簡単な言葉であっても自分の思いを言語化できれば深い内容は作れるはずだと考えているそうです。

歌詞ではないですが、「谷川俊太郎さんはすごいですよね。」とも。

「詞を書くときは、僕の場合は自分が普段意識してない本音のところまで掘り下げるので、その作業は自己否定の連続になります。」(オリスタ 4.22.2013)

だから詞を書くときは憂鬱になるし、落ち込むそうです。

「(曲作りのアドバイスを求められて)楽器を使いながらやるよりは鼻歌というか、まず自分の頭の中でメロディをならす訓練をした方がいいと思います。

適当にやって(鼻歌を歌って)今の気持ちいいなというフレーズが出たら、それをリフレインして(繰り返して)みるとか。で、AメロなのかBメロなのか、サビなのかわからないけど、1個できたらその全部を組み立ててゆくのは割とできると思うんで。オレは基本的にそういう風にしてる。」(13年4月の言葉)

最初は楽器を使って曲を創っていたそうですが、楽器だと鼻歌のように自由自在にメロディを弾けたりするわけではなく、鼻歌の方が自由度が高いと感じたのでそのやり方で歌を作っているそうです。

また、ビートだけ決めてしまって、それをずっと再生させながら、曲を頭の中で作ってゆく・・・ということもするそうです。

「放っておいたら「僕は田舎から出てきた」みたいなことばっかり書くと思うので(笑)」(オリスタ 4.22.2013)

曲のオファーがよく来ることについて。

「僕も高校生位の頃に(曲を)作ってみましたけど、全然ダメでしたね。作れませんでしたね」(13年4月の言葉)

高校生の頃に曲作りに挑戦した時のことについて。

「自分に正直なフレーズが入ってないと、いくらオファーを受けて作るとしても書けないですから」(オリスタ 4.22.2013)

家族になろうよ」や「誕生日には真白な百合を」などオファーを受けて、テーマありきで作る楽曲について語った言葉。

「(曲は)自分の中にないものを書くってことは僕はできないタイプなので」(13年3月の言葉)

曲のタイアップなども多い福山雅治さんですが、曲のオファーをもらう時は何かしらのテーマがあり、そのテーマに沿って楽曲を作るものの、そこに「今の自分なりのリアリティ」を加えて楽曲を制作するそうです。

「歌詞の中に弱音や不安をはきだせるので。自分の弱い部分や不安なことや自分の弱い部分を歌の中に表現することによって共感してくださる方がいらっしゃるので、そこで相殺される」(13年2月の言葉)

弱音だとか不安に思うことについて。そういったものを歌詞の中で表現し、それに対して共感してくれるファンがいるから、自分はやってゆける・・・そういうことだと思います。

「(デモテープから実際の曲作りを他のミュージシャン達とやる時にイメージを)最初っから決め込むことはないです。自分が思ってるイメージを超えたいんですよ。」(12年12月の言葉)

デモテープを福山さんが自分で用意し、それをもとに曲作りをしてゆくわけですが、他のミュージシャンの方々にはまず思うようにやってもらい、それを聴いた時に、そういうものもありだな・・・というものが欲しいのだそうです。

非常にフレキシブルと言いますか、良いものは取り入れる姿勢がわかります。

「デモテープを作る時は(簡単な)ICレコーダーでいつも録音しているんですよ。で、その時はシンプルな打ち込みのリズムを走らせて、スピーカーから音を出してそれをバックに歌とギターを録るんですね」(福山☆冬の大感謝祭 其の十二 パンフレットより)

そのデモテープを元に実際にレコーディングをしてゆくそうですが、稀にデモテープの方がいいな・・・という時もあるそうです。

「(ドラマの主題歌を作ることについて)あまり寄り添い過ぎるのもどうかと思うし、ドラマの内容に寄り添わな過ぎるのもどうかと思うので、相乗効果のような化学反応が起こるような関係になれたらいいなと思う」(12年12月の言葉)

ドラマ「美丘」の主題歌となった「」について語った時の言葉。

「(Girl 2012について)あまりこういい過ぎていない歌詞、深すぎない、ある種その情景描写だけでゆく歌詞が心地良いです。僕的にも。」(12年11月の言葉)

道標」であるとか、「群青」であるとか、「家族になろうよ」など、やや重めの曲作りが40代前後から続いているので「Girl 2012」であったり、「MELODY」などの歌詞が心地よく感じる時もあるそうです。

「僕は多分通常の男性よりも女性ホルモンが若干多いのかも知れませんね。」(12年9月の言葉)

女性らしい歌はどこからやってくるのかと聞かれての言葉。女性らしい歌だと「ながれ星」であったり、「Squall(スコール)」、「milk tea」などがあります。

「言い回しとか言葉とか技術的なことではなくて、何を歌いたいのかということと、何を本当に本心のところで感じているのかということを探す作業の方が大変」(12年9月の言葉)

曲作りの前に自分が本当に感じている部分にたどり着けるかどうかが大事だと語っています。

「そこに魅力があるかどうかですよ。下手でも。そのことが才能ですから。」(12年9月の言葉)

下手であっても魅力があれば、それは才能だと語った時の言葉。自分の歌やソングライティングについても、最初よりは今の方がよくなってきている。だから、何かに挑戦する際は下手であっても、魅力があればそれでいいと語っています。

「僕は自分に課しているんです。『愛してる』というフレーズを歌詞では使わない、と。」(TVガイドPERSON vol.2)

福山さんが「愛してる」と歌詞で使ったのはデビューアルバム「伝言」の「I LOVE YOU」だけです。ただ、愛していると表現するために他の言葉や表現、メロディーを駆使しているそうです。

「シングルを出すこと、アルバムを出すこと、これらもある種の勝負だと思っています。」(WHAT's IN? 12年10月)

本人は「わかる人だけわかってくれればいいやという曲作りはしたくない」と語っています。曲作りの際は自分が何を作りたいのか、何を伝えたいのかを考えて作ってゆくそうです。

「ミュージシャンの立場としては、いつも不安なんです。」(WHAT's IN? 12年10月)

この次も自分が納得する曲が作れるかどうか、新曲を出すたびに思うそうです。でもその不安は決してネガティブなものではない・・・とも。

「(曲を)書いてる時って軽~いうつ状態みたくなりますから。まぁ、そういう状態にならないと書けないんですけど。」(WHAT's IN? 12年10月)

自分の弱い部分、嫌な部分と向き合うから・・・だそうです。

「これ僕の好きじゃないところなんだけど、僕は意外とちゃんとそれに寄り添うものを作るんですよ、オファーが来たものに対して」(12年7月の言葉)

CMなどタイアップがついた作品について語った言葉。

CMなどの場合、それに綺麗にはまってしまうとどこか耳に残らないものになってしまうため、どこかズレているというか違和感が少しあった方がよいのだそうです。

一番ベストなのは「図らずともそうなってしまった」という作品。意図的に違和感を持たせようとしてもダメなのだそうです。

「自分の好みが非常に雑多なんだってことに気づいてからは楽になりましたね。」(ギターマガジン 2012.2)

自分の中で生まれてくるメロディも特定のジャンルではなくて、フォークっぽい、ロックぽいとか色々あるそうですが、最初から否定する必要はなく、どんなものでも素材として試してみればいいと気づいたら気持ちが楽になったそうです。

「自分自身を歌うことは、大人として慎重になってしまうことがあるんです」(ファン会報 BROS.93)

若い頃は言いたいことが曲の中で言えてなかったそうですが、今は「歌いたいことは明確に描けている」そうです。

「ラブソングなんかはタイアップがあると書きやすい。勿論、アルバムの中ではラブソングは書くけど、それはアルバムだからみたいなところがある。」(12年4月の言葉)

「俺は女っぽい。」(12年4月の言葉)

ラブソングを作る時に恥ずかしいと感じることがある自分について語った時の言葉。そのため、ラブソングなどはタイアップ(CMなど)があると書きやすいと語っている。

「女性のていを借りて自分の言いたいことを言っている。」(12年4月の言葉)

福山雅治さんのラブソングなどで女性目線で歌った曲、例えば「Squall」などがありますが、そういった歌を書くときのことについて語った言葉。

女性の目線で書くことによって恥ずかしさというものを隠せているのではないでしょうか。

「レコーディング前後はよく歩くことですね」(SWITCH 11年10月)

レコーディングで重要なのは「クレバーな感覚をいかにキープできるか」ということなのだそうです。体調管理には気を使っているとも。

「甘いものは欠かせないです。それと緑茶」(SWITCH 11年10月)

音楽の制作現場に欠かせないものを聞かれて。コンビニスイーツも好きだといいます。

「完結させないことは多いですね。歌にするときに。」(10年8月 トップランナー)

「途中であり渦中であるからこそ、甘酸っぱいんだと思うんです。キュンと来るんだと思うです。」とも。

「一人でスタジオ入って、叩けもしないのにドラムセット組んでもらって叩いてみたり、ベースも買ってみたり」(別冊カドカワ 09年)

キーボードも弾けもしないのに用意してもらったりして、始めたという。すべては曲の作り方を変えたいと思ったからだといいます。

この話をしたのが10枚目のアルバム「残響」が発表された頃ですから、どこまでも向上心を持って音楽と向き合っている様子がうかがえます。

「僕の歌の基準が1つできたんです」(別冊カドカワ 09年)

いい歌は10人が聴いたら7人はいいという歌だと気づいたそうです。

「曲を創る時っていうのは本当に孤独な作業で、誰も助けてくれないから、自分で立ち直って、自己再生、自己回復するしかない」(Oricon Style 06年12月号)

「今は書けないけど、2、3日経てば、書けるようになるさと自分で知っていると知らないのでは大分違う」と語っています。

「詩は夜、しかも深夜に書くものなんですよねぇ。」(ファン会報 BROS.#70)

深夜に詩を書くことで「何かが降りてくる」そうです。だから、詩を書いている時はなるべく夜更かしをしたいとも。

「創作の源は絶対生活の中にあると僕は思っているタイプなんです。」(「SWITCH」 VOL.23 05年)

自分の中でもう少しこうだったらいいのに・・・と思えることが色々とあって、でもそんな願望は叶わなかったりする。

そういったものを自分の創作する世界で表現する・・・ということを作品作りでは行っているようです。

「歌詞なりメロディなりを書いていると、やっぱりあっち側に行ってしまうんですよ。生活しているこの現実の環境とまったく違う自分の世界に。」(「SWITCH」 VOL.23 05年)

これは筆者の個人的な意見ですが、音楽を作るということは自分がすべてをコントロールしているようなもので、自分ではじまって自分で完結する・・・でもその状態といういか、心理状況を現実の世界に持ち込まないようにしているという意味で語った言葉だと思うんです。

だから、福山雅治さんはいつまでも、どれだけ売れても謙虚な心で、感謝の気持ちを持ってまわりと接することができているのかも知れません。

「変わんないです」(福山雅治「伝言」 木村克己 p67)

最初にメロディーを作って、その後に詞をつけてゆくという昔からやってきたスタイルについて聞かれた時の言葉。ちなみに同時にやることもあるといいます。

「孤独だったり悩んでいることだけ歌ってる歌は創りたくない」(福山雅治「伝言」 木村克己 p66)

昔からそう思っていたそうで、孤独や悩んでいることだけの歌はずるいと語っています。

「プレッシャーはあって当たり前」(福山雅治「伝言」 木村克己 p51)

ものを創るということ自体、最初から煮詰まっているようなもので、これで完璧なんてものはないと話しています。

「自分では漂っているものをつかんでいる感じだと思っているんですけど」(月刊カドカワ 96年4月号)

メロディの作り方について聞かれた時の言葉。「きっと生まれてから今まで聴いてきたメロディを分解して再構築しているだけの話だと思うんですけど」とも話しています。

「とにかく一生懸命考えます」

曲創りの方法について聞かれた時の言葉。

「基本的に暗い歌はあんまり創りたくないんですよ。」(福山雅治「伝言」 木村克己 p28)

歌で考えさせられたりする必要は思っていないそうで、音楽というのは本人にとっては「鼻歌の延長」なのだそうです。

「創れると思ってなかったですし、創ることに興味もなかった」(福山雅治「伝言」 木村克己 p20)

曲作りについて。ところが、最初に用意された曲を聴かされた時に自分で創ることに興味を持ち始めたそうです。

デビューが決まって、事務所に曲があるなら持ってきてと言われ「そういえば俺、何もない」ということに気づいたそうです。

自分には何も武器がないと思った時に、自分で曲を創ることの必要性を感じたそうです。

「遊びの中で覚えた興奮とか感動とかが作詞作曲のちいさな種になる」(ファン会報 05年9月15日)

遊びだけでなく、映画やスポーツを観たりといった日常のふとしたことの中にヒントが落ちているのだそうです。

「10年経ったら、もっと楽になると思ってた。」(「なぜ福山雅治は俳優でも一流になりえたか」さくら真 p.137)

曲作りや詞を書くことについて語った言葉。曲や詞を作ることは、10年やっていたらもっとポンポン出てくると思っていたそうですが、むしろ逆で大変になったそうです。ただ、大変な反面「すごく楽しみが増えている」そうです。

「俺は天才じゃないから、とにかくやり続けるしかないと思いましたね。」(主婦の友社 92年9月)

曲創りは簡単じゃないでしょう?と聞かれての言葉。最初はつまらない曲しか書けなかったそうです。

「曲をつくるのはどういうことかを白浜さんに教えてもらいました。本当に恩人ですね。」(「なぜ福山雅治は俳優でも一流になりえたか」さくら真 p.29)

福山さんのCDデビューの準備が進められたいた頃、用意された曲に「オレがやりたいのはこんな曲じゃない。」といってプロデューサーを怒らせていたとか。そこで、事務所は福山さんが憧れていたバンド、ARBのギタリスト、白浜久さんにプロデューサーを依頼しています。

白浜久さんは、他人の曲を気に入らないと言っていた福山さんに「気に入らないなら、自分で書いて見ろ」と言ったとか。その言葉が福山さんを俄然やる気にされたのです。